台風の影響か、すごく雲が低くて流れが早い。クルクル変わる雲の表情。
私は雲が好きです。
屋上に上がって、夕暮れの雲を眺めながら一人でお酒をのむひと時。
お家時間が増えて、こういう楽しみが増えました。
雲を眺めていてふと思い出しました。
空と雲をたくさん描いた夏。
写真を探してみたら出てきました。
94年の夏休み。
この頃、夏休みには屋上で毎年子供向けのイベントをやっていました。
この年は、あるアニメ映画の公開と重なったこともあって、企画会社からイベント提案が来たんです。そのアニメ会社の代表作の印象的なシーンの中を、次から次へとライドで巡っていくというアトラクション。
このイベントを仕切っていたのは、私の二つ年上の先輩です。宣伝部イベント担当の若手筆頭で、イベント担当には日大芸術学部の頃からバイトで入っていたバリバリの人。アイデアマンでものすごく熱い。そのキャラと行動力から、企画会社はいろんな企画を持ってきてくれるんですよ。
私はその頃、隣の装飾担当の若手でしたが、隣同士なのでイベントもよく手伝っていました。こういう楽しいイベントの時はよく一緒にやっていましたね。 先輩も私も基本特撮オタクなので、この手のイベントになると燃えるんですよ。阿吽の呼吸で(笑)
オフィシャルイベントなので、自動運転の狸型ライドとともに立派な機材や造作物、映画に登場するキャラクターの人形やフィギュア、小物がたくさん提供されます。ライドで体感する劇中で印象的なシーンの音声や映像も。でも、一つ問題がありました。
企画が持ち込まれた時点では、迷路のようなライド空間の壁面造作は図面上ただの壁だったんです。雲柄の経師紙を張る?みたいな話でした。
そのイベントの会場設営準備には1週間ほどかけることになっていました。
私はちょうどその一週間、たまたま連休でしたが・・・彼女もいないしやることも全くなかったので、イベントの手伝いをすることにしました。もちろん無給ですよ!今だったら管理上怒られるやつです。
私が手伝うことが決定して、もう一つ決まったことがありました。
私が一週間かけて造作壁に必要な絵を描く!!正確には猶予は4日間くらいかな…
壁画は大学のクラブで毎夏やっていた海の家で描いたことがあるので、やれる気がしました。絵を描いて壁を描き割りにすることを前提にして、造作壁に貼る経師紙の色を選んだり、絵の具を手配したり。施工業者さんと一緒にワイワイと。業者さんもクライアントも関係なく、みんなでわちゃわちゃと混ざり合って得意なものを出し合いながら仕事してました。
私は雲を描くために実家からエアブラシとコンプレッサーを持ってきました(プラモが趣味なんです)。壁には空と雲を描くからです。
ライドで巡る各々のシーンは、すべて特徴的な風景として、空と雲が絡む。砂漠の空、夜の空、夕暮れの空、南の海。壁に空と雲を描いて描き割りにすることにしたんです。
いま急に思い出しましたが、空の基本色は経師紙で再現しました。全部塗りつぶすの大変だから。業者さんと紙を選んだっけ・・経師紙を張った壁に必要な風景と雲を書き足せばOK。でも結構時間かかりました。夕暮れのたんぼの景色はチョー大変だったので、バイトの学生さんにも手伝ってもらって4人がかりくらいで描きました。近くの紀伊国屋書店で田んぼの写真集を買ってきて、それを見ながらみんなで描きましたね。
壁画が出来上がってから、みんなでライドに試乗。
楽しかった~~・・・
今改めて写真を見たら、ヘタクソで陳腐以外の何物でもないですが(笑)、ライドのスピードも結構速かったから、これでも案外没入感があったんですよ。まあ今どきの大画面動画やプロジェクションマッピングなんかとはとてもじゃないけど比べられるシロモノではありません(笑)
その後無事にオープンしたイベント自体は大盛況でして、連休明けの私も休日に丸一日応援に入って楽しんでました。
みんなで描いた壁画は案外好評だったらしく、その後のイベントのキャラバンでも壁のまんま使いまわされたと聞きました。
その後も、その先輩とは隣担当同士の関係ですから週に何度も飲み行ったり泊りに来てみんなで夜通しゲームやったり、何度もイベント手伝わせて頂いたり、ホテル催事なんかはいつも現場が一緒で毎日何か一緒にやっていましたね。京都伊勢丹のオープンに際しては、オープン半年前に本部指導メンバーに専任され(先輩がイベント担当、私が装飾担当)、更に濃密な時間を共有することになります。
その後、私が宣伝部から異動した後は残念なことに一緒に仕事をする機会には恵まれませんでした。
でも、先輩もその後お店のVMD担当を長いことご担当されましたから、根底の部分では共通項でつながっていたんです。
先輩はしばらくして会社を退職、後で教えてもらったのですが、その後いくつかのお仕事をされてから電鉄系駅横スーパーの店長に就任。これまでの経験をフルに活かし、宣伝業務も店舗運営も売場計画もバリバリ考えて指示を出していたのが判って嬉しかったものです。
楽しいことを探して仕事化し、正体不明のパワーで押して上にも通しちゃって、ほぼほぼ遊びみたいにしながらバイトのみんなも巻き込んで、価値ある時間と経験にしていく。みんな楽しく現場をやっているからお客様にも伝わって楽しんで頂けていました。これが先輩のパワー。それを横目にスゲーなあ・・と見ていた私。
当時はがむしゃらに、次から次へと流すように仕事をしていたような気がするけど、勢いのある時ってそういうものかな。今思い出すととても大事な経験。きっと今では、社員が自分達で壁画描いちゃうとかそんなテキトーなやり方は通用しないだろうし、そういうのが許された緩い時代だったかも。今思い出すと、勢いだけのヒドイ仕事ぶりだったけど、やっぱこれが原点なんだな・・・と思います。
自分達で考えて、自分達で上に通して、自分達で楽しく作り上げる仕事。
醍醐味です。
上も若手の勢いを許して見守ってくれていたということですね。
先輩は、1年前に50前半の若さで天国に旅立たれました。
その1年前、久しぶりに先輩と会ってサシ飲み。その時に闘病中であることを知りましたが、当時の楽しい仕事の話に花が咲き、苦労話を聞き、お互いの状況報告をして、また一緒に仕事しよう!と言って別れました。
ホント、寂しい。
先輩、本当にありがとうございました。
また一緒に仕事がしたかったな・・・
今日の雲は、あの時の思い出に重なります。良い写真も出てきた。
大好きな先輩の分も楽しく頑張らなきゃね。