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幸せを運ぶプロフェッショナルたち

ブログの更新を2週間もさぼってしまいました。8/6にこのウェブサイトをリリースし、介護中の母の様子を見ながら「そろそろ営業始めるよ!」と話していましたが、8/9に母は突然大腿骨骨折で入院となり、その後手術は成功しリハビリも始めたものの、そこから認知機能障害に陥り、具合がどんどん下降線をたどり、8/24には意識薄弱となり、その後3日間危篤を続けて8/29に天国に旅立ってしまいました。そんなわけで8月はワープ航法のように飛び去りブログ更新どころではなかったわけですが、会社を辞めてから半年、母にできる限り寄り添って一緒に過ごす時間をたくさん持てて幸せだったと実感するとともに、地域の包括介護体制のありがたさを実感し、病院や実家で母の介護に携わるみなさんのプロフェッショナルな仕事ぶりを目の当たりにして感動の日々でした。

 

1年半の中で繰り返した母の入退院生活で一番長くお世話になった病院では、婦人科病棟で馴染みの看護師さんがたくさんでき、いつも優しく話しかけてくださり病院は第2の家になっていました。これはすごいことだと思います。骨折で救急搬送された病院から転院したときも「ここに戻れてよかった」と言っていました。馴染みということだけでなく、明るく清潔でみな笑顔をたやさない病院の「イズム」。家族への気遣いにあふれた建物設備病棟の環境から働く人びとまで全ての総合的なイズム。文字通りホスピタリティに包まれて幸せだったに違いありません。危篤状態になっても皆さんいつも通り優しく母や私たちに声をかけてくださり、手を抜くことなく世話をしてくださいました。亡くなったあと、主治医の先生、婦長さん、看護師の方が線香を上げに来て下さり、車で出ていくのを見送ってくださいました。それがあくまで病院のよくある業務フローの一部なのはわかっていても、場に相応しい美しくきちんとした立ち居振る舞いは小売販売業のそれを上回るもので、感動せずにはいられませんでした。

 

骨折で入院するまでは実家への訪問診療・訪問看護・ケアマネジャーによるヘルパー派遣の体制がとられていました。それぞれ、限られた時間の中でテキパキと状況把握・判断をし、適切な処置をとり、役割の中で楽しく話相手になってくださり、たわいもない話を通じて洞察し、より深く患者の状態を観ていく。突然高熱を出したときはすぐに飛んできてくれ、点滴をし、入院手続きや申し送りの調整をしてくださる。安心感がありましたし、プロの仕事を見ていると勉強になるばかりです。このような手厚いバックアップが得られたおかげで私も起業の準備を進めることができました。一番感動し驚いたのは、母も大好きだった若い訪問看護の先生が母が危篤になってからお見舞いに来て下さり、私と姉は「あ~~先生、間にあってよかったです・・・」と胸をなでおろしました。先生は、まったく動かず眼も開かず呼吸をするだけの母にいつものように楽しく話しかけはじめました。手を握りながらいつも母としていたという美味しいお菓子の話とか、食べ物の話を耳元で笑いながらするのですが、それまでまったく動かなかった母のまぶたが明らかに動いているのです。「お母さま、この話が聞こえてるんですよ!楽しい話だからよろこんでますよ!」と。それまでは話しかけてはいても悲嘆するばかりだった私と姉は驚いてしまい、そこから一層楽しく話しかけるようになりました。その後見舞いに来た伯父夫婦とも病室で楽しく話をしました。元気になったのか、それから2日間も母は自力で生きました。

 

母が亡くなった後、病院出入りの葬儀社に葬儀一式をお願いすることにしました。姉に先に帰ってもらい、私が退院手続きを終えて後から実家に戻ると、すでに葬儀社の担当者が来ていました。若い女性です。後から聞いたらまだ入社4年目だそう。到着すると彼女はベッドにドライアイスをセットしていました。その後、葬儀の打ち合わせに入りましたが、丁寧で細やかな打ち合わせ。葬儀まで中2日しかないのに、式場斎場手配、御坊様の手配、会葬御礼作成、ご挨拶状作成、遺影作成、返礼品準備、祭壇とお花の手配・・といった諸手続を私たちの要望を踏まえアレンジしながら一人で完璧に手配。毎日ドライアイスを換えてくれ、葬儀前日に遺体を式場に運ぶときはなんと彼女が棺桶を載せた大型車を一人で運転して出ていきました。葬儀でも法要中に淀みなく落ち着いたアナウンスと式の進行を行い、私たちの見送りを最後まで駐車場で一人でしてくれました。そして完璧な見積書を届けてくれました(笑)一人で、暑い中額に汗しながらもワンストップでここまで全ての対応が完璧にできるというのは見事というしかありません。スーパーマンです。母や遺族をリスペクトし心から誠意をもって対応しているのが控えめでも優しさあふれる表情、話し方、立ち居振る舞いから伝わります。入社4年目にして最高のプロフェッショナルな仕事ぶりに心を奪われてしまいました。私だけでなく、姉も義兄も、小6の私の二女も心を奪われていました・・・彼女もまた、葬儀という別れと悲しみの時間帯に、葬儀という機会と場を通して大きな幸せを運んでくれたのです。こういう出会いも幸せの一つと思いました。私が死んだときにはまた彼女に仕切ってもらいたいと心から思うし、できることならウチの社員になってもらいたいくらい。

 

それぞれの方が、それぞれの仕事の中でプロフェッショナルの仕事ぶりを発揮するだけでなく、母や私たち家族・遺族に幸せな時間をもたらしてくれました。この方々がおられたから、母との時間は一層楽しく充実し幸せなものとなりました。働く過程で関わる人を幸せにできるというのはなんてスゴイ能力なんだろう・・・自分はそういう仕事ができていたのだろうか・・・これからはそうならなければ・・・

 

自分はVMDという領域のプロとして独り立ちをしたはず。でも、その分野の仕事のプロというだけでは半人前。仕事を通して関係をもつ皆さんを、仕事を通して楽しく幸せにできる人になりたい。心からそう思いました。50を目前にしたいいオッサンですが、人間としてはまだまだ半人前ですよ。起業のタイミングと重なる、多くの学びを得た母との最期の暮らしの時間に感謝をするばかりです。お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。母ともども心より御礼申しあげます。